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| 堀田重良伝 | |||
| 〔資料と解説〕 | |||
| ■売薬請売営業許可と売子 | ・昭和12年(1937)11月 売薬請売営業許可、営業者、従事者一覧 | ||
| ■売薬方名 | ・明治42年(1909)5月〜昭和6年(1931)1月 売薬方名一覧 | ||
| ■北海道売薬と堀田重良 | ・北海道配置家庭薬協議会札幌業務支部(旧石狩売薬同業会)の沿革 | ||
| ・昭和4年(1929)5月 富山県売薬組合本支部代議員選挙 | |||
| ・昭和9年(1934)10月 札幌最寄会申合規約 | |||
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・昭和11年(1936)5月 富山県売薬最寄会連合会の状況 | ||
| ・昭和12年(1937)10月 新篠津騒動 | |||
| ・石狩支庁管内の自治体について | |||
| ■地元水橋に残る堀田重良の足跡 | ・水橋での事績 | ||
[資料]北海道配置家庭薬協議会札幌業務支部(旧石狩売薬同業会、札幌最寄会)の沿革
「明治三十九年頃は米一升十五銭でした。旅先で業者はほうぼうの旅館に泊った。
富山の人は札幌駅前通りにあった丸信旅館に多く泊った。ヤマキ旅館には富山の坪田二人、新庄の丸一佐伯の外、岩瀬の人がおおかた泊った。
ヤマキ旅館では宿泊料が一日四十銭でしたが、月末に清算すると、酒一本ともりそばを二杯つけたものである。他に何軒も旅館があったが初めは交際をしていなかったのであまりわからなかった。年と共に段々とわかるようになってきたので、皆が誘い合って親睦をはかっている内に、大正二年頃中島重馬が発起人となり、同業者相集まって業界の利益をはかる寄り合いを作ったらというので働きかけたら、大勢の人が集まった。
その後毎年世話人が主唱して集会をつづけたが、大正三年には成田儀兵衛、大正四年には江尻菊次郎、大正五年には堀田重良が世話人となった。この堀田重良の頃に石狩売薬同業会即ち今の札幌業務支部の前身が結成された。
その後堀彦次郎、昭和十二年に岸谷庄之助、昭和十三年成田儀兵衛、昭和二十二年山内重太郎、昭和三十一年浅井孫吉、昭和三十五年黒田敬蔵、昭和四十年岸谷正雄、昭和四十八年藤井定次郎と会長に就任し現在に至っている。
石狩売薬同業会では厚袋に証紙(マーク)を貼るように各支部に指令をした。それは六掛、八掛と乱売されていた時代でしたから証紙を貼る事によって、お得意に対して真面目で正しい商売をしている者の印として、そうでない不正商人と区別がし易いようにして、値崩れによって泥沼となるのを防ぎ直すようにはかった。農村は大正五年と昭和五年とは特に疲弊していたので六掛しか支払って貰えなかった。大正二年の大凶作の時は飯米はおろか来年に播く種籾にも困ったものでした。内地から種籾を取り寄せたにしても、気候風土に合わないから育たない。それで北海道の一部(上川地方)から種籾を取り寄せ全道に分けあってやっと植えつけた。昭和五年は大豊作で採れすぎたために米が暴落し石狩登別の相場で一石が十三円五十銭となった。」
〔出典:北海道売薬同業組合沿革史〕
[解説]札幌支部歴代支部長一覧
石狩売薬同業会(旧札幌最寄会、現北海道配置家庭薬協議会札幌業務支部)の代々の世話人は以下の通りである。時期により不明の場合もある。
| 年月 | 代表者(世話人)氏名 | できごと | ||
| 大正2年(1913) | 中島重馬 | ・札幌周辺を行商する同業者、初めて相集まり寄合う | ||
| 大正3年(1914) | 成田儀兵衛 | |||
| 大正4年(1915) | 江尻菊次郎 | |||
| 大正5年(1916) | 堀田重良 | ・石狩売薬同業会発足、堀田重良初代会長となる | ||
| (年不詳) | 狐塚義雄 | |||
| 大正7年(1918)3月 | ・北海道売薬同業組合発足 | |||
| 大正10年(1921)3月 | ・全北海道売薬同業会発足 | |||
| 昭和7年(1932) | ・富山県売薬最寄会連合会 | |||
| 昭和9年(1934)3月 | 堀田重良 | ・富山県全北海道売薬同業会発足 ・札幌最寄会申合規約制定 |
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| (年不詳) | 堀彦次郎 | |||
| 昭和12年(1937) | 岸谷庄之助 堀田重良 |
・新篠津騒動 | ||
| 昭和13年(1938) | 成田儀兵衛 | |||
| 昭和14年(1939) | ・堀田重良死去 | |||
| 昭和22年(1947) | 山内重太郎 | ・北海道配置家庭薬協議会札幌業務支部(第四業務支部札幌最寄会) | ||
| 昭和31年(1956) | 浅井孫吉 | |||
| 昭和35年(1960) | 黒田敬蔵 | |||
| 昭和40年(1965) | 岸谷正雄 | |||
| 昭和48年(1973) | 藤井定次郎 | |||
[解説]昭和10年代札幌最寄会の組織地域
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旧札幌郡: 1.札幌市 2.江別市(旧石狩郡篠津村含む) 5.北広島市 旧千歳郡: 3.千歳市 4.恵庭市 旧現石狩郡: 6.石狩市 7.当別町 8.新篠津村 厚田郡: 9.厚田村 浜益郡: 10.浜益村 |
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| 石狩支庁管内 (地図の出典はこちら) |
昭和10年頃の札幌最寄会の組織地域は、昭和9年10月の「札幌最寄会申合規約」に基づくと、ほぼ石狩支庁管内であることがわかる。ただし、同規約では、管内北部地域の石狩郡、厚田郡、浜益郡の名があげられていないが、昭和12年石狩郡新篠津村での売薬返戻問題では、札幌最寄会会長堀田重良が事態収拾に奔走したことから考え、石狩郡等も同最寄会の組織地域であると判断する。
・札幌市(※1922年市制施行)
・札幌郡 円山町、白石村(現札幌市)、江別町(現江別市)、琴似町、札幌村、篠路村、豊平町、手稲町(現札幌市)、広島町(現北広島市)
・千歳郡 千歳村(千歳・烏柵舞・長都・蘭越、現千歳市)、恵庭村(漁・島松、現恵庭市)
・石狩郡 石狩町(現石狩市)、当別町、新篠津村
・厚田郡 厚田村
・浜益郡 浜益村
堀田重良伝(©加賀谷 健 2005)